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東京高等裁判所 平成6年(う)1092号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中八〇日を原判決の本刑に算入する。

理由

本件控訴の趣旨は、弁護人平野耕司、同山崎哲、同渡邊清郎、同海老原覚が連名で提出した控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

論旨は、要するに、(1)原判示第三の事実に関する捜査においては、所持品検査に先行する職務質問で許容限度を逸脱した警察官の違法な有形力の行使があり、かつ、所持品検査自体も被告人の承諾に基づいて実施されたものではないから、本件証拠物の押収等の手続には、憲法三五条及びこれを受けた刑訴法二一八条の所期する令状主義の精神を没却する重大な違法があり、これを証拠として許容することは、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められる、したがって、原判決が右事実の証拠として掲げたもののうち、少なくとも、覚せい剤の捜索差押調書、鑑定嘱託書、鑑定書、写真撮影報告書及び覚せい剤は、その証拠能力が否定されるべきであり、原判決には、違法な捜査手続により獲得された証拠能力のない証拠を採用して有罪判決をした点で、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、また、(2)職務質問や任意同行に伴う有形力の行使が違法であるにもかかわらず、証拠の証拠能力を否定するに至らないと評価された場合でも、このことは、被告人に有利な情状として考慮されるべきであり、その余の情状と合わせると、原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。

そこで、所論にかんがみ原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討する。

記録によると、所論の争う原判示第三の事実は、被告人が平成六年五月一〇日、東京都新宿区歌舞伎町二丁目一二番一号先路上において、覚せい剤である塩酸フェニルメチルアミノプロパンの結晶〇・四四五グラムをみだりに所持したというものであるところ、原審の訴訟手続は、第一回公判において、被告人及び弁護人が、本件各公訴事実を全面的に認める陳述をしただけでなく、検察官請求証拠の取調べに対し、全て同意又は異議がない旨の意見を述べたため、これらの証拠が直ちに取り調べられ、在廷した情状証人の尋問及び情状に関する被告人質問が行われて即日結審したことが明らかである。

そして、原審において弁護人の同意に基づき取り調べられた証拠、特に、現行犯人逮捕手続書及び捜索差押調書によれば、所論指摘の覚せい剤の押収の経緯は、概ね以下のとおりであったと認められ、右認定と抵触する証拠はない。すなわち、平成六年五月九日午後一一時五二分頃、警視庁第二自動車警ら隊所属の警察官(堀合秀幸巡査及び高橋和歩巡査部長)は、パトカーで警ら中、新宿区歌舞伎町二丁目二番二一号先のいわゆる明治通り路上において、停車中の自動車の運転席にいた被告人に対し職務質問をしようとしたが、その際被告人が突然自動車を六、七メートル後退させ、警察官の制止を無視して、ホテル街の路地に進入したため、不審を感じてさらに職務質問すべく、パトカーで同車を追跡し、約七、八〇メートル先の同町二丁目一二番一号所在のホテル「エルスカイ」前において渋滞のため停車した被告人車に追いつき、職務質問を再開した。堀合巡査は、被告人に対し、窓越しに、免許証を提示し窓を開くよう求めたが、被告人が窓を開けず隙を見て助手席から駆け足で逃走を開始したため、さらにこれを追跡し、約七、八メートル走って前記ホテル角(以下「エルスカイ角」という。)を右折する際被告人が右手で路上に財布を落としたのを現認して、後方の高橋巡査部長に財布の位置を指示しながら「財布を捨てた。」と連絡し、さらに追跡を続けた。その後、堀合巡査らは、約六〇メートル逃走して同区歌舞伎町二丁目一一番一四号ホテル「水月」の駐車場に走り込んで転倒した被告人に追いつき、パトカーに同乗させて被告人を前記エルスカイ角まで任意同行した。同地点において、高橋巡査部長は、被告人に前記財布を示してこれが被告人の物であることの確認を得た上で、その承諾の下に中身を見た結果、テレホンカードケースの中にあったビニール袋入りの白色結晶を発見した。そして、翌五月一〇日午前零時三二分頃、応援に駆けつけた新宿警察署保安係の三浦巡査が、被告人の面前でその承諾を得た上で、右白色結晶についていわゆる予試験をした結果、覚せい剤反応が得られたので、被告人を覚せい剤取締法違反罪の現行犯人として逮捕し、その際、右覚せい剤を他の証拠物と共に差し押さえた。

このように、原審記録による限り、本件覚せい剤の押収手続は適法であったことが明らかであり、右手続に関し被告人に対し違法な有形力が行使されたり、承諾のない所持品検査が行われた形跡は全く見当たらない。右手続に関し捜査官の違法行為があったとする所論は、訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現れている事実の援用を欠くもので、訴訟手続の法令違反の主張としては、刑訴法三七九条に違反し不適法であるというほかない。所論は、原審において被告人及び弁護人が検察官請求の証拠の取調べに同意し、かつ、異議を述べなかったのは、被告人において、職務質問時の違法な有形力の行使等が証拠物の証拠能力を左右し得ることの認識がなく、かつ、証人を探し当てることが困難であると考えたため、弁護人に対し、前記のとおり有形力を行使された事実を積極的に話さなかったからである、しかし、被告人は、原判決後、同房者から職務質問における違法な有形力の行使の許されないことを知らされ、また、知人からの手紙で被告人に対する職務質問の状況を目撃している人間がいることを知り、控訴審において、訴訟手続の法令違反を主張するに至ったものである旨主張している。しかしながら、刑訴法三八二条の二第一項には、三七九条に規定する控訴理由(訴訟手続の法令違反)がある場合は含まれていないから、右のような事情があったとしても、所論が不適法な主張であることに変わりはない。したがって、論旨(1)は理由がない。

次に、被告人が、職務質問における有形力の行使が許されるか否かについて法律的な知識がなかったとしても、被告人が、真実、前記駐車場で転倒した際、所論の主張するように、警察官に右腕をねじ上げられ、シャツの後ろの方を強く引っ張る感じで首を絞めつけながら、左膝を左脇腹の後ろ辺りに著しく強く押し当て、馬乗りになるように押さえ込まれたという体験をしていたのであれば、その事情を第一審の弁論終結前、訴訟準備の打合せの機会等に、弁護人に告げるのが通常である。特に、本件においては、同意に基づいて取り調べられた前記現行犯人逮捕手続書及び捜索差押調書に所論主張の暴行があったとされる場面の状況が現れていたのであるから、これらの証拠に記載されている事実を争うのか否かを弁護人から確かめられた際、あるいは公判廷においてこれらの証拠が取り調べられた後においても、被告人には、前記の体験を弁護人に告げる機会が十分あったと考えられる。したがって、所論指摘の事情があったからといって、刑訴法三八二条の二所定の「やむを得ない事由」があるということはできない。この結論は、所論の主張する暴行の事実は被告人質問という形で容易に公判廷に提出できたものである以上、暴行の現場を目撃した人物のいることを知ったのが原判決後であるという所論指摘の事情があったとしても左右されない。そうすると、被告人が警察官により不法な有形力を行使されたとの所論は、量刑不当の論旨を基礎づけるものとしても、不適法であるといわなければならない(したがって、当裁判所は、右所論指摘の事実を立証事項とする弁護人の証拠申請を却下した。)。

そこで、さらに、この点を別として、原判決の量刑について検討するのに、本件は、被告人が、約一年の間に二回にわたり、原判示第一、第二のとおり、覚せい剤約〇・〇二グラムを含有する水溶液を自己の身体に注射して使用し、右二回目の使用の二日後に、原判示第三のとおり、覚せい剤約〇・四四五グラムをみだりに所持したという事案である。被告人は、第一の犯行の二日後、覚せい剤を譲り受けようとした相手が覚せい剤不法所持罪で逮捕され、その際、被告人自身も警察官に求められて尿を提出していたのに、前記のとおり、その約一年後に再び覚せい剤を自己使用して、使用残量を不法に所持したものであり、所持した覚せい剤の量も少ないとはいえない。しかも、被告人は、昭和五六年一〇月に覚せい剤取締法違反罪で懲役一年執行猶予三年保護観察付きに処された後、平成元年二月には、再び同罪で懲役一年六月に処され、同二年八月に右刑の執行を受け終わったものであるのに、同四年四月頃からまたも覚せい剤を使用するようになり、横浜方面の密売人から買い受けては自己使用を繰り返し、遂に本件に至ったものである。これらの点からすると、被告人の覚せい剤との親和性及び法規範無視の態度は、極めて顕著であるといわなければならず、被告人が、これまで暴力団に籍を置き、定職もなく無為徒食の生活を送っていたことをも考慮すると、被告人の刑責は重いといわなければならない。

そうすると、被告人には、前刑仮出獄後約二年間にわたり覚せい剤を使用しなかった時期があり、被告人も、暴力団関係者と関係を絶つ旨誓っていること等、所論が指摘し証拠上認め得る被告人のため斟酌すべき有利な情状を十分考慮しても、被告人を懲役二年六月に処した原判決の量刑はやむを得ないものであって、これが重過ぎて不当であるとは認められない。論旨(2)も理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条により当審における未決勾留日数中八〇日を原判決の本刑に算入することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤文哉 裁判官 木谷明 裁判官 金山薫)

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